~孤軍奮闘~

うつ病などの心の病、ADHDなどの発達障害の方たちへのお助けブログです...。

うつ病完治への道②

こんにちは、ヤマトです。お元気でしょうか。

今回は前回の続きをお話しつつ、また自分のお話もさせていただけたらな、と思っています。

前回は、大学時代のお話をしましたが、私は大学以外にもうつ病になったきっかけがあるのです。

元々、私はとても繊細な人間であるという話をいたしましたが、それを如実に感じ始めたのは、中学三年生の頃でした。その時から、私はとても「周りとの違和感」を感じていました。皆さんが授業に集中している間、友達と談笑している間、とても楽しそうに、時には真面目に取り組んでいる中、私だけはなぜかずっと鬱々とした気持ちを抱えていました。友達はいるものの、なぜか馴染めず、そして親友というものができたことさえありませんでした。それは私が心を開かなかったということではなかったのです。それは、不確かな、曖昧な「周りとの違和」でした。私は変わっている人間であるとともに、少しおかしな考え方をする人間でした。「なぜこうなのだろう?」「なぜこうしないのだろう?」例えば、陰口を平気で叩く人間に完全で、恐ろしいくらいの不快感を抱けばそれを一日中考え、変な校則、例えば髪を染めてはいけない、髪を奇抜にしてはいけない、だとか。そういったことに対して全くの「静かな抗議」を続けていたのです。そんな私が友達や学校に馴染めるはずがありません。

そんな静かな抗議がだんだんと世の中に対する恨みへと変わっていきました。なぜこんな国に生まれたのだろう。なぜこんな場所に私を生んだのだろう。私はいつも外国に行きたいといい、両親を困らせていました(笑)

そんな私が高校に行っても変われるはずもなく、鬱屈とした感情を常に蓄えながら学校に行きました。ただ穏やかに学校生活を過ごしたかった私ですが、ところが、私はその高校にいた野球部の連中に因縁をつけられ、その後ずっと続く確執がありました。

私のクラスの野球部の人たちは僕に優しくしてくれるのですが、ほかのクラスの連中はあることないこと、私の噂をしているらしく、体育の授業ではいつもなにやら陰口のようなものを叩かれていました。私は気にしないでいるつもりでしたが、それがだんだんと嫌になり、高校二年から徐々に学校に行かなくなりました。そうです、皆さんにもご経験の方がいらっしゃるかもしれませんが、不登校でした。

私は、本当に学校というものを、存在自体を憎むようになりました。そして、内的な世界にずっと閉じこもるような人間になりました。バスで帰る道中、ずっと白昼夢を見続け、帰ってはずっと小説を読んでいるような学生でした。もっと、繊細で、ナイーブな若者になっていったのです。

そして、その頃から、私は夜寝付くことが困難になり始めていることにも気がつきました。ずっと、朝寝が治りませんでした。そのときは不眠ということを意識してはいませんでしたが、これが大学に入るまでの私のうつ病を育むことになったきっかけといえるでしょうか...。。。

私の話は、こんなところにしておきまして、本題に入りましょうか。

今回は、前回の続きとなりますが、「認知バイアス」を使ったうつ病の考え方を変える方法です。

この認知バイアスは最もうつ病への近道であると言いましたが、全くその通りなのです。

例えば、うつ病の患者さんは、「ネガティブ思考」がクセになっている方が多く見受けられます。私もそうでした。

例えば、「僕はダメなんだ」「僕はなにをやってもうまくいかない」「人間とは馴染めない」そんな考え方です。

そんな考え方を正当化し始めると一番危険です。私が一番危惧しているのが、鬱の沼に溺れることです。ネガティブ思考というのは底なし沼のようなもので、厄介なのが、そんな自分を悲劇のヒロインにまつりたててしまうことにあります。その悲劇のヒロインになっている自分がなんとなく快感になってくるのです。暗いものというのは甘美です。それがなにやら深淵に近いものであるからではないでしょうか。人間というものは、見えない、底の知れないものにやたらと惹かれます。ミステリアスな女性に惹かれるのと同じことです(笑)

そんな自分を正当化することからまず、やめてみるのが先だと私は考えます。

そんなことがカンタンにできたらうつ病になってないんだよ!と言われそうですが、騙されたと思って、まず自分に声をかけることから初めてみてください。「僕はダメな人間じゃない」「私はまだできる」

人間というものは不思議なもので、負の認知バイアスがあるように、正のバイアスもあるのです。これを否定的な言葉でいうと自己欺瞞になるのですが、私はそうは考えません。

これを続けていると、不思議と負のバイアスから逃れることができるようになってきます。「自分はできる」それが嘘でもいいのです。なぜなら、「自分はできない」それもまた、あなたにとって、また嘘なのですから...。。。

これも、哲学的な考え方でしょうか。哲学は基本的に「中庸」を大事にしているように思います。簡単な言葉でいうと「普通」でしょうか。

人間は、黙って過ごしていると、正や負、どちらかに傾きます。それを元の状態に直すのもまた哲学といえるかと思います。

ですから、「自分はできる」という過度な自信を抱きすぎてもいけませんし、「自分はできない」という過度な不安も抱かなくていいということです。「中庸」これを今から大事に生きていってみましょう。少しは考え方が楽になるかと思われます。

哲学者、ニーチェの有名な格言に、「深淵を覗くとき、深淵もまたお前を覗いているのだ」というものがあります。これは今私がいっていることにかなり近いものです。ずっと深淵をのぞき(ネガティブ思考を)続ければ、あなた自身が深淵に近い存在になりかねない、ということです。だから、それを正していきましょう、ということです。

こう考えてみると、またうつ病もなんだかたいしたことないように思えてきませんか?僕はそう思います。場合によってはうつ病が人間を変える大事な武器になるかもしれないのですから。この武器になる、ということについては、また次回、お話致しましょうか。

では、また次回。それまで頑張って一緒に生きてゆきましょう。ありがとうございました。

うつ病完治への道①

こんにちは、ヤマトです。

今日は記念すべき第一回目ですが、まずは私のうつ病になったきっかけをお話ししつつ、うつ病への心構えを述べたいと思います。

まず、私は非常に繊細な人間で、感受性豊かな人間であったといえることが出来ると思います。(自分で言うのもかなりはばかられますが(笑))それから、概してうつ病にかかる人間というものは、そういった気質を少なからずもっていると私は思っています。

それから、他にも特徴を述べますと、変なところで大真面目、自分ルールが多い、自分に厳しい、といったところもあげられるでしょうか。

こうやって書いていると、自分のことのように思われる方も少なくはないと思います。そうです、うつ病にかかる方はかなり繊細で真面目であるということが言えると思います。

そんな変に真面目な私がうつ病にかかったのは大学生の頃でした。

その頃、私は芸術肌の青年で、小説などを書きつつ、哲学科に通っていました。

ちゃんと勉強をしていたかと言われると、少し自信がありませんが(笑)哲学の授業はとても好きだったことを覚えています。

そんな私が病気になったきっかけはまず一つに、大きな失恋、別離を二回ほど経験したことにありました。

一年の時に、好きだった子がいました。仲良くなれたはいいものの、ささいなことで喧嘩をしてしまい、そこから全く音信不通になってしまいました。原因は、私の過剰なアドバイスでした。彼女はメンヘラっぽい気質で、よくアドバイスをしていたのですが、それが彼女にはだんだんと鬱陶しくなっていったのでしょう。彼女のためだと考えていた僕には、すごくショックだったのを覚えています。その周りに居た女友達とも音信不通になってしまいました。そこで僕の中で何か暗いものが芽生えてきて、だんだんと夜には胸の痛み、締め付けられるような恐ろしい痛みが激しくなり出しました。

それから、それを忘れるように勉学に励むようになり、二年次には、フル単に近い単位をとっていました。その二年次にも、私はバイト先の女の子に軽くあしらわれ、またも失恋をしました(笑)

おかしさを覚えたのは三年次になってからでした。急に朝起きるのが憂鬱になり、大学への足も遠のき出しました。そして、次第に不眠が私を襲うことになります。

不眠というのは自殺、うつへのもっとも近い一歩であると私は思います。

失恋、それを契機とした勉学への過剰な勤しみ、おそらく、心のどこかでドス暗い何かが溜まっていったのでしょう。それが爆発して、不眠となったのではないでしょうか。

それ以外にも、私はサークルなどにも入っていなく、友人もほぼいなかったということ、大学への失望(生徒のやる気のなさ、授業のつまらなさ)を感じていたこともあったと思います。

僕は、不眠が起きて、初めてうつ病だと宣告されました。

それから、薬を飲み始める毎日が始まります。

実は、不眠は大学時代に始まったことではなく、しかもここからはさらに長い憂鬱で暗い日々が続くのですが、この話はまた今度にいたしましょう。

 

本題に移りますが、うつ病完治、寛解への道は、私は薬でもなく、生活習慣でもなく、自分自身のマインドだと思っています。

薬はその場しのぎにしかならず、生活習慣も睡眠習慣以外には、私にはさして意味のないことにしか思えません。

マインドというと、自己啓発本を思い出しますが、私には自己啓発本も意味がないと思えます。周りをみて自己啓発本を読んで変わった人がいるでしょうか?きっといないでしょうね。他人の言葉は私は気休めにしかならないと思っています。読んで実践した気になってしまうのが一番の問題なのです。

では、どうすればいいか?私はまず哲学という力をつかって解決していきたいと思っています。哲学といえば、難しいイメージをお持ちの方もいらっしゃるでしょうが、それは書き手によるのです。たしかに哲学は難しいですが、哲学を志さない人間は原著を読む必要はないと思います。

私は、哲学をつかって解決すると言いましたが、まず哲学で最も大切にされることは「認知バイアス」を崩すことにあります。

言い換えれば、既成概念、固定概念、偏見、です。

うつ病の患者さんに多いのが、この認知バイアスです。

認知バイアスがなぜ恐ろしいかというと、これがうつ病を長引かせる主たる原因であるといえるからです。

我々の周りには、様々な認知バイアスが存在しています。

有名どころでいえば、正常性バイアスです。

例えば、台風が今日襲って来るとしますが、我々は台風ごときでは避難するという判断をくださない場合が多いです。なぜなら、窓が割れたことも、家が飛ばされたこともないからです。これが、正常性バイアスです。人間はある程度そういった、「ある危機」に鈍感に作られているからです。

ですが、令和元年に起きたあの大きな台風を覚えているでしょうか。あの時、まさに私の目には「正常性バイアス」が起きているように思えました。

こういった日常に蔓延る様々なバイアスを崩さなければ、うつ病は完治、寛解へと向かわないことは明らかです。

非常にささいなことのように思えますが、私たちは、思っているよりも、はるかに認知バイアスに動かされて生きています。

この認知バイアスを使ってどうすればうつ病寛解へと向かわせられるか、はまた次回ということでお願い致します。

ここまで、読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

初めまして。

初めまして、ヤマトといいます。

このブログの開設に至ったきっかけは、「誰かのためになれれば」

そんなことを思い、開設致しました。

特に、近年では、うつ病統合失調症、などの精神病、また、ADHDアスペルガー症候群などの発達障害が世の中に跋扈しています。

私自身も、うつ病の闘病生活、ADHDとの長い付き合いがあります。

その体験をもとに、大学で哲学科にいた経験を活かし、それらに関する役立つことを記事にしたり、趣味である、本、音楽、映画などの芸術的な雑文も書かせていただけたらな、と思っています。

どうぞ、よろしくお願い致します。